思いつき・雑文
2011年03月25日
2011年03月18日
「空海の風景」読書中覚え書き
伝記というものは他人の手によるものである限り、どうしてもその人物が功績を残したことについて必然であるという匂いを感じさせてしまう。これは自分自身の読書体験の貧しさによるものかもしれないが、それは置く。
しかしこの「空海の風景」に叙述される空海の像は、一文毎に発見の連続であり、空海という存在が毎度新たに浮かび上がってくるようでもあり、「世に棲む日日」で吉田松陰と高杉晋作にかこつけて執筆時の社会背景も含めて明確なメッセージにまとめ上げることに成功した司馬遼太郎といえども、全く全貌を掴めないどころか、著者の目前にあるモノをどう解釈してよいか戸惑っているようにも見える。
しかしまだ上巻半分程度の読み進め具合であるから、今後を楽しみにしたいと思う。
しかしこの「空海の風景」に叙述される空海の像は、一文毎に発見の連続であり、空海という存在が毎度新たに浮かび上がってくるようでもあり、「世に棲む日日」で吉田松陰と高杉晋作にかこつけて執筆時の社会背景も含めて明確なメッセージにまとめ上げることに成功した司馬遼太郎といえども、全く全貌を掴めないどころか、著者の目前にあるモノをどう解釈してよいか戸惑っているようにも見える。
しかしまだ上巻半分程度の読み進め具合であるから、今後を楽しみにしたいと思う。
2010年11月27日
2010年09月23日
2010-09-23
基本的には黙っているのが良い。ただ、自分の頭の中を整理して提出するトレーニングは出来るだけした方がいいとも一方で思う。それとは関係なしにただ吐き出す時間もあるともっといい。頭の良さ気な方々が思いっきりドヤ顔で間違ったことを言っているのを見ると、やっぱり自信満々っていうのはいいなあと憧れる。
変な形がつくからと形を整えることを拒否すること、語られることを拒否することは、ともに自分を広げる余地を文字通り狭めているとも思うが、思いのこもらぬ抽象的な言葉で自分自身を煙に巻くのはどうかとも思っている。
眠い時には筆が回る。
お金の流れをもっと観察した方がいい。的確に。自分自身もそうだし。世の中も。それと同時に関係性の動き、流動性をもっとちゃんと確かめながら自分の位置取りを決めていったらいい。それとは別に目の前の相手にきちんと向き合うことが重要。俺がいくらがんばっても個人ではえられる情報も知識も少なすぎると強調してしすぎることはないとあきらめているが、それでも出来ることはあるはずと試行錯誤するのもいい。
知っているひとから見たら「何こいつは馬鹿なことを言っているんだ」と思うようなことばかりなのだろうと思う。でも知っている人はそれを敢えて声高に主張しない。自分だけが知っていることが優越感なのだろうし、親切に教えてあげても相手の気分を害することの多さは身にしみている人が多いように感じる。てか俺がそうだと独白する。てことは、大抵のことは自分がオープンになれば勝手に入ってくるものだと、そういうことなのだと思う。
そのときも流されないために自分の軸や拠り所を持っているつもりになってふるまうんだけど、時には思いっきり流されて自分の居場所をなくしてみるのもそれはそれで苦しくも有意義な経験になるのかもしれないと思いつつ。全ては明日への希望があるからこそで、どんな形であっても朝日が昇れば、命を切らす人々とは違う意識の視点に立つことになる。
専門的な議論をしたり、はたまた下ネタで大盛り上がりしてみたって、他文化というのは文字通り文化を異にするというわけで、絶対的な差異を認めないわけにはいかない。そこを無視して何が小さい地球やらなんやら毎日のように頭がお花畑な言葉の数々が新語となって世に出ていくのは、世の中全体がお花畑化しているのであろうか。昨日星になったチャバネ君と運命を共にしてほしかったものである。
ツイッターといっても、結局は的確に物事をつたえる能力の差が色々な結果の差となって現れてくるわけであって、文字数がどうのこうのとか以前に自分の方向性だけは見失わないようにしておきたいもんである。人間は矛盾をはらむ、とわかったようなことを書く。
大抵一回りして、自分の立ち位置がシンプルな地図の上に立ち上がる。立ち現れる。そうすることでもう一回空図から目的地を定める。いつか天図になればいいなと思うが。宇宙図か。
そして世界七不思議に数えるべきと思うのが、豊田の急発進と、アクセルブレーキ踏み間違い事件の数々。宇宙人の陰謀とも言うべき数の多さ。多分ウルトラマンのせい。宇宙怪獣の解放を。
突っ走るのもいいし、どこかで折り合いをつけるのもいい。
今日はここで完。
変な形がつくからと形を整えることを拒否すること、語られることを拒否することは、ともに自分を広げる余地を文字通り狭めているとも思うが、思いのこもらぬ抽象的な言葉で自分自身を煙に巻くのはどうかとも思っている。
眠い時には筆が回る。
お金の流れをもっと観察した方がいい。的確に。自分自身もそうだし。世の中も。それと同時に関係性の動き、流動性をもっとちゃんと確かめながら自分の位置取りを決めていったらいい。それとは別に目の前の相手にきちんと向き合うことが重要。俺がいくらがんばっても個人ではえられる情報も知識も少なすぎると強調してしすぎることはないとあきらめているが、それでも出来ることはあるはずと試行錯誤するのもいい。
知っているひとから見たら「何こいつは馬鹿なことを言っているんだ」と思うようなことばかりなのだろうと思う。でも知っている人はそれを敢えて声高に主張しない。自分だけが知っていることが優越感なのだろうし、親切に教えてあげても相手の気分を害することの多さは身にしみている人が多いように感じる。てか俺がそうだと独白する。てことは、大抵のことは自分がオープンになれば勝手に入ってくるものだと、そういうことなのだと思う。
そのときも流されないために自分の軸や拠り所を持っているつもりになってふるまうんだけど、時には思いっきり流されて自分の居場所をなくしてみるのもそれはそれで苦しくも有意義な経験になるのかもしれないと思いつつ。全ては明日への希望があるからこそで、どんな形であっても朝日が昇れば、命を切らす人々とは違う意識の視点に立つことになる。
専門的な議論をしたり、はたまた下ネタで大盛り上がりしてみたって、他文化というのは文字通り文化を異にするというわけで、絶対的な差異を認めないわけにはいかない。そこを無視して何が小さい地球やらなんやら毎日のように頭がお花畑な言葉の数々が新語となって世に出ていくのは、世の中全体がお花畑化しているのであろうか。昨日星になったチャバネ君と運命を共にしてほしかったものである。
ツイッターといっても、結局は的確に物事をつたえる能力の差が色々な結果の差となって現れてくるわけであって、文字数がどうのこうのとか以前に自分の方向性だけは見失わないようにしておきたいもんである。人間は矛盾をはらむ、とわかったようなことを書く。
大抵一回りして、自分の立ち位置がシンプルな地図の上に立ち上がる。立ち現れる。そうすることでもう一回空図から目的地を定める。いつか天図になればいいなと思うが。宇宙図か。
そして世界七不思議に数えるべきと思うのが、豊田の急発進と、アクセルブレーキ踏み間違い事件の数々。宇宙人の陰謀とも言うべき数の多さ。多分ウルトラマンのせい。宇宙怪獣の解放を。
突っ走るのもいいし、どこかで折り合いをつけるのもいい。
今日はここで完。
2010年09月19日
2010年06月11日
2010年01月29日
2010年01月07日
イエメン戦
【サッカー】アジア杯予選 2点追う展開も初招集の平山ハットトリックで逆転!イエメンとの“中東の戦い”制する:芸スポまとめblog
ワロシュwwww
いやー、それにしても勝って良かった。
平山すげー
見所
・何故かイエメン人実況にエロヤマと呼ばれる平山
・乾キレキレ
・2分表示だった後半のロスタイムを何故か10分もとる主審
ワロシュwwww
いやー、それにしても勝って良かった。
平山すげー
2010年01月05日
2009年12月10日
最近考えること
科学者は面白がることが仕事だと思うのだ。他の仕事は知らないけど、自分のやってることが面白く感じられなくなったら終わりだな。ってか科学技術全般に関わってる人の発する「知的好奇心」って部外者からどのくらい理解されているのだろうか。全然な気がする。素直にモノを面白がるという特徴は時にとても素晴らしいけど、何でもかんでも鵜呑みにする素直さとの同居は避けたいものだ。
自分の感情や思考の外側に意図を持っておくことが重要だとつくづく感じた。自分の思考や感情はそのときの自分にとっての現実だから、その他のことが認識されにくい、てかしないのだけど、何かの切っ掛けがあって(ここらへん毎度不思議)ふと外に目が向いて視界が開けたりする。ひとまず、メカニズム化出来ないかな。思考や感情の外側にパラダイムを持っておくと視界が開けやすいと思っている。
忙しいと研究以外のアウトプットがなくなる。良いか悪いかよくわかんないけど、傍から見たら人間の幅が縮まっているように見えるのではないか。ただ、傍から見たらっていうのも刹那的なことだから今後にどう活かすかという視点を持っているかどうかだと思うけどね。
自分の感情や思考の外側に意図を持っておくことが重要だとつくづく感じた。自分の思考や感情はそのときの自分にとっての現実だから、その他のことが認識されにくい、てかしないのだけど、何かの切っ掛けがあって(ここらへん毎度不思議)ふと外に目が向いて視界が開けたりする。ひとまず、メカニズム化出来ないかな。思考や感情の外側にパラダイムを持っておくと視界が開けやすいと思っている。
忙しいと研究以外のアウトプットがなくなる。良いか悪いかよくわかんないけど、傍から見たら人間の幅が縮まっているように見えるのではないか。ただ、傍から見たらっていうのも刹那的なことだから今後にどう活かすかという視点を持っているかどうかだと思うけどね。
2009年12月01日
2009年11月25日
ドラクエのシステム
結果としてオルテガの息子が魔王を倒したから、奴がゲームになったのだ。実は我こそは勇者だというものが数多く王様の下に「金寄越せ」的な訪問(強奪り)を行っていたものと思われる。だからあんな軽装備で旅に出ざるを得なかった。王様とはいえ予算が限られていた。もしくは、実際魔王にはそんなに困ってなくて、自称勇者に辟易していたのかもしれない。翻って魔王の立場から考えると、弱くても多数の勇者(魔王からしたら敵モンスター大量発生みたいなイベントだよな)が自分の居城目がけて押し寄せてくるわけで、もちろん防御策は講じるが、自分の手元から勇者を積極的に派遣して勇者を退治させようとする。しかしそこはモンスター。節度もなく統率もとれていないので、集団行動が偶にしかできず、単発で自称勇者達を襲うしか能がない。また、限られているリソースから派遣するモンスターを選ぶ必要があるので、当然自分の近くには強いモンスターを、遠いところには弱いモンスターを配置する。魔王にとっては、オルテガにすらこの戦略は通じていた。ほぼ全ての勇者は魔王の城に辿りつくことができず、辿りついたオルテガでさえ魔王自らの手によって倒されていた。魔王の防御システムは完ぺきだったのだ。オルテガの息子が現れるまでは。オルテガの息子は最初は貧弱な装備ながらも弱いモンスターを着実に倒し成長していった。それとともに酒場で仲間を集めるという、どこかの悪い大人にだまされたとしか言えないような方法でチンピラ仲間を集めることに成功する。金と面白いことがあればホイホイついてくるチンピラ仲間を連れ、オルテガの息子は旅を続ける。チンピラどもは戦うしか能がなく、死なないようにしておけば自然と戦いが楽しくなり(なぜなら彼らは単純な脳みその持ち主だから)成長速度は加速度を増す。魔王の過去の防御プランを覆すほどに。全知全能のはずの魔王も、辺鄙な町からやってきた一人の自称勇者(無職)が様々な偶然と単細胞的な愚直さにより自分を脅かすことになるとは想像だにしなかったであろう。魔王はしゃべりすぎ、また勇者を甘やかしすぎるという油断によって自分の首を絞めることとなり、魔王の城は滅ぼされる。それは偶然に形を変えた、神の施しだったのである。
2009年11月22日
死ぬときに後悔すること25
エチカの鏡でも紹介された「死ぬときに後悔すること25」まとめ(背負子む)
2回「公開」と打ち間違えた。
あと大事なのはHDDの中身を削除しておくことだね。
ま、通夜の酒の肴にしてくれたらいいか。
動ナビ経由で知ったリンクだからついったーじゃなくてこちらで書いてみるw
2回「公開」と打ち間違えた。
あと大事なのはHDDの中身を削除しておくことだね。
ま、通夜の酒の肴にしてくれたらいいか。
動ナビ経由で知ったリンクだからついったーじゃなくてこちらで書いてみるw
テンション↑↑
ほめられサロンもテンションが上がるけど、ラブプラスウィジェットもやばい。俺のデスクトップで28日間放っておいたら、凄いモードが出てきた。継続は力。いや、魅惑。ってか蠱惑。うちのIMEは「こわく」が変換できない…。どういうことだ。
ああ、きもいエントリだ。
ああ、きもいエントリだ。
2009年11月20日
新聞のプレゼンス向上?
RSSにとりあえずブログをぶっこみまくるようになって気付いたこと。
「ニュースへのコメントを投稿している人の多さ」
上記には、トラックバックなどで誰かの意見へ議論を吹っ掛けているものも含む。
そしてこのソースは大抵新聞社のウェブサイトの記事。想像を膨らませるのは自由だし、他にもソースを示すことのできる猛者もいるが(個人的に、たくさんはいないと感じている)、大抵は読売だの産経だのへのリンクもしくは引用が施されている。
同時に、地方紙のソースも多い。手間が変わらないからね。もちろんPV差は歴然としているだろうけど。
同じマスメディアでもテレビは自分がその前に齧りついてないといけないが、新聞ならいつでも読める。速報性を重視するものだし、数日履歴が残っていれば十分になっている。
朝日だの毎日だの中の人たちはネタでやっているのかと思えるほど燃料を定期的に投下してくれるが、議論の端緒となっていることは疑いない。
新聞はウェブサイトの情報料について決めかねているようだけど、これはすごいビジネスチャンスじゃないかと思う。
(全然関係ないけど、ケータイからYahooニュースを見るとき、コメントが付けられる記事と付けられない記事があるのは何でだろう。しかも個人的な感覚として、偏っているなと感じる記事はコメント不可。はっきりと調べてないけど)
あと、ネットエンジニアの活躍はさすがなもので、ギズモードだのTechCrunchだのIT系情報サイトの充実っぷりは半端ない。
テクノロジー系のサイトはその技術が売れることで儲けるのだろうけど、新聞の場合は情報そのものに対して課金するのだろうか。ちょっと現時点ではよくわからない。
テレビは最近いつでも通販みたいになってるよね。良い悪いはともかく。
ただ、ブログコミュニケーションは顔も見えるし、これを活かしたビジネスはいくらでも生まれている。
参考
ブログスフィア アメリカ企業を変えた100人のブロガーたち
クチコミを見る
新聞社は今後この流れにどう乗っかっていくのだろうね。
「ニュースへのコメントを投稿している人の多さ」
上記には、トラックバックなどで誰かの意見へ議論を吹っ掛けているものも含む。
そしてこのソースは大抵新聞社のウェブサイトの記事。想像を膨らませるのは自由だし、他にもソースを示すことのできる猛者もいるが(個人的に、たくさんはいないと感じている)、大抵は読売だの産経だのへのリンクもしくは引用が施されている。
同時に、地方紙のソースも多い。手間が変わらないからね。もちろんPV差は歴然としているだろうけど。
同じマスメディアでもテレビは自分がその前に齧りついてないといけないが、新聞ならいつでも読める。速報性を重視するものだし、数日履歴が残っていれば十分になっている。
朝日だの毎日だの中の人たちはネタでやっているのかと思えるほど燃料を定期的に投下してくれるが、議論の端緒となっていることは疑いない。
新聞はウェブサイトの情報料について決めかねているようだけど、これはすごいビジネスチャンスじゃないかと思う。
(全然関係ないけど、ケータイからYahooニュースを見るとき、コメントが付けられる記事と付けられない記事があるのは何でだろう。しかも個人的な感覚として、偏っているなと感じる記事はコメント不可。はっきりと調べてないけど)
あと、ネットエンジニアの活躍はさすがなもので、ギズモードだのTechCrunchだのIT系情報サイトの充実っぷりは半端ない。
テクノロジー系のサイトはその技術が売れることで儲けるのだろうけど、新聞の場合は情報そのものに対して課金するのだろうか。ちょっと現時点ではよくわからない。
テレビは最近いつでも通販みたいになってるよね。良い悪いはともかく。
ただ、ブログコミュニケーションは顔も見えるし、これを活かしたビジネスはいくらでも生まれている。
参考
ブログスフィア アメリカ企業を変えた100人のブロガーたち
クチコミを見る
新聞社は今後この流れにどう乗っかっていくのだろうね。
鳩山総理動画@ニコニコ
面白いw
【ニコニコ動画】鳩山由紀夫vs.鳩山由紀夫 自らの献金問題を厳しく追及!!
まじめな話、彼の話も、小沢さんの裏金も、きっちりしてほしいね。
反論として何故か良く言われるのが
「政治家なら少なからず誰でもやってるだろ」
とか
「このタイミングで出てくるのはおかしい」
とかだけど、法を犯したら裁かれるのは当然で、それがバレないやつは狡いとかいうのは全くお門違いも甚だしい。
【ニコニコ動画】鳩山由紀夫vs.鳩山由紀夫 自らの献金問題を厳しく追及!!
まじめな話、彼の話も、小沢さんの裏金も、きっちりしてほしいね。
反論として何故か良く言われるのが
「政治家なら少なからず誰でもやってるだろ」
とか
「このタイミングで出てくるのはおかしい」
とかだけど、法を犯したら裁かれるのは当然で、それがバレないやつは狡いとかいうのは全くお門違いも甚だしい。
2009年11月18日
2009年11月17日
2009年11月16日
情報の対価 -MITを例として-
M.I.T. Education in Taiwan, Minus the Degree
via Summary of this week 9 Nov - 15 Nov(Web Evolution)
上記にはMITの授業を中国語に翻訳しているChuさんのお話が書いてある。ちなみにロード・オブ・ザ・リングの翻訳で儲けた人なんだって。
閑話休題。
情報の対価というエントリを以前書いたので、それに関連づけてこういうものも見てみた。2007年の記事だから(そしてそれはMITが授業をオープンにしてから6年経過していた)状況が変わっているところもあるだろうが、思考の一端とするには十分だ。
ここでは文字通り情報はただとなっている。しかも元々英語でしか提供されていなかったものが自分の言語に(この場合は中国語に)なり、アクセスしやすい改変まで施されている。これはすごい。
情報がただとなっても、MITには相変わらず学びの機会を求めて学生がやってくる。月間200万アクセス(当時)は、MITのクオリティを広める成功例となっているのだろう。
翻ってこれを東大でやってみたらどうなるか…。わかんね。部分的には安田講堂での記念講演的な授業をビデオ配信していたりするけど、その評価はどうなっているのだろうか。
MITは授業のリソースを公開してしまうということで、MITの価値を世界に広め、より優秀な学生を確保するとともにMITのプレゼンスを向上させることに成功しているように思える。
MITの売りの本質は優秀な他の学生と切磋琢磨しながら学びを深めることであって、授業スライドにはないということを実際の行動で示してしまっている。
これは情報の対価をどう得るかということの一つのサンプルになりうる。今後も注視していく。
via Summary of this week 9 Nov - 15 Nov(Web Evolution)
More than 1,000 contents of the Open Course Ware project initiated by MIT, as well as many other Open Education resources, have been translated into Chinese. A large number of other translation projects are ongoing (including those of TED), and more and more of the greatest knowledge is becoming available and accessible to people in every corner of the planet regardless of which language they speak. Not only text but also videos can now be consumed in any language with relative ease using websites like dotSUB. (e.g. Vint Cerf - The Internet Today available with English subtitles)
上記にはMITの授業を中国語に翻訳しているChuさんのお話が書いてある。ちなみにロード・オブ・ザ・リングの翻訳で儲けた人なんだって。
閑話休題。
情報の対価というエントリを以前書いたので、それに関連づけてこういうものも見てみた。2007年の記事だから(そしてそれはMITが授業をオープンにしてから6年経過していた)状況が変わっているところもあるだろうが、思考の一端とするには十分だ。
ここでは文字通り情報はただとなっている。しかも元々英語でしか提供されていなかったものが自分の言語に(この場合は中国語に)なり、アクセスしやすい改変まで施されている。これはすごい。
情報がただとなっても、MITには相変わらず学びの機会を求めて学生がやってくる。月間200万アクセス(当時)は、MITのクオリティを広める成功例となっているのだろう。
翻ってこれを東大でやってみたらどうなるか…。わかんね。部分的には安田講堂での記念講演的な授業をビデオ配信していたりするけど、その評価はどうなっているのだろうか。
MITは授業のリソースを公開してしまうということで、MITの価値を世界に広め、より優秀な学生を確保するとともにMITのプレゼンスを向上させることに成功しているように思える。
MITの売りの本質は優秀な他の学生と切磋琢磨しながら学びを深めることであって、授業スライドにはないということを実際の行動で示してしまっている。
これは情報の対価をどう得るかということの一つのサンプルになりうる。今後も注視していく。
2009年11月15日
自分とは何者か
和田秀樹先生のブログを読んでいて思ったこと。
沖縄の選択(和田秀樹オフィシャルブログ「テレビで言えないホントの話」)
ハーフ(この呼称にも異論はあるようだが、分かりやすさのために)に生まれた人にも言えると思うんだけど、沖縄に生まれたということは生まれながらにして強烈なアイデンティティの問題にぶち当たることを運命づけられていると思う。
明の冊封体制に組み込まれ、島津に朝貢し、日本と米国に次々に…と安定した主権を確立していた歴史はほぼない。王国はあったけど。「自己」というものを突き付けられ続けて来て、今もそうだと思う。
すげーなあ、ちょっと沖縄行きたくなった。違う空気を吸いたい。
沖縄の選択(和田秀樹オフィシャルブログ「テレビで言えないホントの話」)
ハーフ(この呼称にも異論はあるようだが、分かりやすさのために)に生まれた人にも言えると思うんだけど、沖縄に生まれたということは生まれながらにして強烈なアイデンティティの問題にぶち当たることを運命づけられていると思う。
明の冊封体制に組み込まれ、島津に朝貢し、日本と米国に次々に…と安定した主権を確立していた歴史はほぼない。王国はあったけど。「自己」というものを突き付けられ続けて来て、今もそうだと思う。
すげーなあ、ちょっと沖縄行きたくなった。違う空気を吸いたい。
2009年11月11日
茂木さん
お詫びなる文章がブログに掲載されていた。彼のブログはコメントが承認制なので最近のブログにはコメントが付いていないかのように見えるが実際は多数の誹謗中傷があったことだろう。それと同時に茂木さんを擁護するようなコメントもあっただろうがそれのみを承認公開することは更なる誹謗中傷を産むということで一切非公開とすることにしたのであろう。この祭り的な状況は数日で終わるだろうがこの経験は今後の彼に大きな影響を与えることであろう。
ただまあ、3年で3億ってすごいよね。しかも必要経費としてかなり自由に使える研究費を取ってきていると想像する。でも学問的にどういうことやってるか知らないから実はあんまりなのかな。ただ、飯が食えてる状況ではお金のことに無頓着になってしまう人なのだね、多分。今回のことで税理士つけろ税理士つけろとアドバイス?的なコメントもたくさんあったみたいだけどどうなんだろ。重なるけど今回の経験で彼のパラダイムにどのような影響があり、その結果彼のパフォーマンスがどのようになるかということに僕は興味がある。世間の目という名のマスコミの論調も変わってくるだろうしね。
ただまあ、3年で3億ってすごいよね。しかも必要経費としてかなり自由に使える研究費を取ってきていると想像する。でも学問的にどういうことやってるか知らないから実はあんまりなのかな。ただ、飯が食えてる状況ではお金のことに無頓着になってしまう人なのだね、多分。今回のことで税理士つけろ税理士つけろとアドバイス?的なコメントもたくさんあったみたいだけどどうなんだろ。重なるけど今回の経験で彼のパラダイムにどのような影響があり、その結果彼のパフォーマンスがどのようになるかということに僕は興味がある。世間の目という名のマスコミの論調も変わってくるだろうしね。