2011年03月

2011年03月25日

武士は食わねど高楊枝

男は耐えてやせ我慢。

2011年03月24日

Mar24, 2011

知的好奇心ってのは祈りからでも生じるのかな。これほど祈りたいことはないわぁ。病んでんな俺。ま、こういうときはとりあえず寝ますけどね。

2011年03月18日

「空海の風景」読書中覚え書き

 伝記というものは他人の手によるものである限り、どうしてもその人物が功績を残したことについて必然であるという匂いを感じさせてしまう。これは自分自身の読書体験の貧しさによるものかもしれないが、それは置く。
 しかしこの「空海の風景」に叙述される空海の像は、一文毎に発見の連続であり、空海という存在が毎度新たに浮かび上がってくるようでもあり、「世に棲む日日」で吉田松陰と高杉晋作にかこつけて執筆時の社会背景も含めて明確なメッセージにまとめ上げることに成功した司馬遼太郎といえども、全く全貌を掴めないどころか、著者の目前にあるモノをどう解釈してよいか戸惑っているようにも見える。
 しかしまだ上巻半分程度の読み進め具合であるから、今後を楽しみにしたいと思う。

2011年03月08日

旧友の通夜

これは特に何を伝えようと書くものでもない。ただ自分の気持ちを整理したいがためだけに書くという本当に身勝手な動機によるものである。

とある旧友の通夜に参列してきた。旧友といっても高校卒業以来、約9年間も連絡を取り合っていなかった。6年間同じ部活に所属していたのに。僕自身は部活のOB会にも全く顔を出さず、メールの返信もせず、会費の振り込みもせず、全く不届きなことを続けていた。だから彼の近況は全く知らなかったし、先週共通の友人から通夜と告別式の案内が来たときはただただ茫然としたのみである。

仲が悪かったというわけではないと勝手ながら思っている。ただ仲が良かったかと言われればそれは違うんじゃないかと思う。僕の勝手な見立てでは彼は明るさのなかにも人見知り気なところを垣間見せていたし、僕自身も異に部活仲間に対しては自分を開示出来ていなかった。だから彼と僕の2人の思い出と呼べるものはほとんど想起することができない。

たくさんの時間を一緒のコートで過ごした。たくさんのパスを受け、たくさんのパスを彼に出した。一緒のビブスを着、もちろん一緒のユニフォームを着て試合に出た。放課後は一緒に練習をし、合宿ではきつい走り込みに耐えた。彼も僕も線が細かった。うちの部活は人数が多く、同じように控えとして時間を過ごすことが多かった。これ以上思い出そうとも、具体的に出てこない。これから共通の思い出をつくることもない。

あ、ひとつ。遅刻してごめんなさい。指定時刻を過ぎてお坊さんの読経が始まってしまっていた。同じタイミングで居合わせた中高の同期と慌ただしく受付を済ませて控室に入ったとき、当然のことながら周囲の方々がしんみりとしていて、すすり泣きも聞こえ、悲しむ準備の出来ていなかった自分がここにいることが随分場違いに感じられた。俯いたり顔を上げたり、テーブルの上のコースターの模様を凝視したりしていた。

しばらくして係の方から声が掛かり、焼香の列に並んだ。部活の同期が数名、前方にいた。1人が振り返ったため、互いに軽く顎を上下させるだけの会釈をした。その後、列が進んで僕の焼香の順となり、久しぶりに彼と対面?した。遺影の彼は、相変わらず端正な顔立ちで、もちろん記憶の彼と比べたら幾分大人っぽくなってはいたが、充分に懐かしさを感じさせるものであった。

なんか焼香の手順はめちゃくちゃになっていた気がする。遺族の方々にはちゃんと礼をしようと思っていただけ。香を手に取りながら手が震えた。遺影の彼に手を合わせながら、やっぱり手が震えた。隣の女性が号泣していたのに自分は少しも涙が出なかったことにも少し困惑と恥ずかしさを感じた。

焼香を終えて香典返しをいただくと、出入り口付近に、一緒のタイミングで受付を行った中高の同期がたたずんでいた。部活の同期は控室に行ったらしい。控室の人たちと話そうかとも思ったが、入口にいた彼はこれで帰るというので、僕自身が居たたまれなさを感じていた事もあり、そのまま帰ってきてしまった。その後のタクシーの中でも、電車に乗って別れるまでも、彼が近況を話してくれてはいたが、僕は相槌を打ちながらも完全に上の空だった。

帰宅して、香典返しの中にあった塩で清めを行い、封筒に入った喪主あいさつで彼の近況が示唆されていることに気づき、またショックだった。だからこの文章を書いたとも言える。

書きながら涙が出たことに驚いた。これが悲しさなのか、何に対する悲しさなのか、恥ずかしながらわからない。

本当に幸運なことに、僕はまだ生を授かったままでいる。生きていることに日々感謝できるほど出来た人間ではないが、健康診断に定期的に行ってみようかくらいは思った。

強欲な僕は今まで、怠惰な日々を過ごしながらも何かを成し遂げたいと漠然と思っていた。こんな自分の過去の体験を顧みるに、急に変われるなど、俄には信じがたい。それでも、日々、何かしら一歩を踏みしめて生きていく。
Amazon