2010年09月

2010年09月23日

2010-09-23

基本的には黙っているのが良い。ただ、自分の頭の中を整理して提出するトレーニングは出来るだけした方がいいとも一方で思う。それとは関係なしにただ吐き出す時間もあるともっといい。頭の良さ気な方々が思いっきりドヤ顔で間違ったことを言っているのを見ると、やっぱり自信満々っていうのはいいなあと憧れる。

変な形がつくからと形を整えることを拒否すること、語られることを拒否することは、ともに自分を広げる余地を文字通り狭めているとも思うが、思いのこもらぬ抽象的な言葉で自分自身を煙に巻くのはどうかとも思っている。

眠い時には筆が回る。

お金の流れをもっと観察した方がいい。的確に。自分自身もそうだし。世の中も。それと同時に関係性の動き、流動性をもっとちゃんと確かめながら自分の位置取りを決めていったらいい。それとは別に目の前の相手にきちんと向き合うことが重要。俺がいくらがんばっても個人ではえられる情報も知識も少なすぎると強調してしすぎることはないとあきらめているが、それでも出来ることはあるはずと試行錯誤するのもいい。

知っているひとから見たら「何こいつは馬鹿なことを言っているんだ」と思うようなことばかりなのだろうと思う。でも知っている人はそれを敢えて声高に主張しない。自分だけが知っていることが優越感なのだろうし、親切に教えてあげても相手の気分を害することの多さは身にしみている人が多いように感じる。てか俺がそうだと独白する。てことは、大抵のことは自分がオープンになれば勝手に入ってくるものだと、そういうことなのだと思う。

そのときも流されないために自分の軸や拠り所を持っているつもりになってふるまうんだけど、時には思いっきり流されて自分の居場所をなくしてみるのもそれはそれで苦しくも有意義な経験になるのかもしれないと思いつつ。全ては明日への希望があるからこそで、どんな形であっても朝日が昇れば、命を切らす人々とは違う意識の視点に立つことになる。

専門的な議論をしたり、はたまた下ネタで大盛り上がりしてみたって、他文化というのは文字通り文化を異にするというわけで、絶対的な差異を認めないわけにはいかない。そこを無視して何が小さい地球やらなんやら毎日のように頭がお花畑な言葉の数々が新語となって世に出ていくのは、世の中全体がお花畑化しているのであろうか。昨日星になったチャバネ君と運命を共にしてほしかったものである。

ツイッターといっても、結局は的確に物事をつたえる能力の差が色々な結果の差となって現れてくるわけであって、文字数がどうのこうのとか以前に自分の方向性だけは見失わないようにしておきたいもんである。人間は矛盾をはらむ、とわかったようなことを書く。

大抵一回りして、自分の立ち位置がシンプルな地図の上に立ち上がる。立ち現れる。そうすることでもう一回空図から目的地を定める。いつか天図になればいいなと思うが。宇宙図か。

そして世界七不思議に数えるべきと思うのが、豊田の急発進と、アクセルブレーキ踏み間違い事件の数々。宇宙人の陰謀とも言うべき数の多さ。多分ウルトラマンのせい。宇宙怪獣の解放を。

突っ走るのもいいし、どこかで折り合いをつけるのもいい。

今日はここで完。

2010年09月19日

英語

当研究室では英語公用語化は全く強制されていませんが、メンツの多くが3週間ほど学会なので、その間留守を預かって研究を進めるべき身分の僕は、新しいポスドクがいきなり日本語を喋ることは期待できないので(そもそも名前と前の勤務先と得意分野くらいしか知らないわ。国籍どこだろ)ちゃんとコミュニケーション取って実力付けていかないとな。

明日応援行くために早く寝ねば。

2010年09月18日

2010-09-18

今日はプランが足りなかった。ただ自己完結してもいけないから、プロのアドバイスを求めることも大事かもしれない。
うだうだやっててもしょうがないから。今の俺にはシンプルさが欠けている気がする。
目の前のことに100%向き合うということ。

だけど、曲りなりにもこうして1日の最後に振りかえりの時間を持てたし、終わってからの切り替えは評価できる。
また次につなげていこう。
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