2006年04月
2006年04月25日
思い付きつき
聞こえてきたのはお金に対する引っ掛かりの会話。
みんなの協力があってはじめて自分が活かされているという会話。
浮かんできたのは、自分が一番精力的に関わっている事柄を実は相当全力で避けて前進を止めているという現実。
責任感ある物事を任されて嬉しいし遣り甲斐はあるけども、やったら自分の枠の外に出てしまって怖いから、そこに取り組まないことで前進しない現実。
見るべきだとわかっていながらそこに気付かないふりをしている自分。
いくらシンクロを感じても、所詮は自分と違う他人。全く同じ人生を生きるわけじゃない。気休めのシンクロから自分の生き方や相手への関わり方への可能を閉ざし、本質的なところで自分のど真ん中のところで自分を持ち出さない自分。
自分が素晴らしい人生を生きるということに責任を見出ださない自分。遣り甲斐を自ら捨てる自分。
シンクロすることはある。そうなったら素晴らしいとする自分もいる。もちろんそうなることは構わない。でもそれはただそうであるに過ぎない。それを目的として生きていては何も生み出さない。
そんな感じ。
みんなの協力があってはじめて自分が活かされているという会話。
浮かんできたのは、自分が一番精力的に関わっている事柄を実は相当全力で避けて前進を止めているという現実。
責任感ある物事を任されて嬉しいし遣り甲斐はあるけども、やったら自分の枠の外に出てしまって怖いから、そこに取り組まないことで前進しない現実。
見るべきだとわかっていながらそこに気付かないふりをしている自分。
いくらシンクロを感じても、所詮は自分と違う他人。全く同じ人生を生きるわけじゃない。気休めのシンクロから自分の生き方や相手への関わり方への可能を閉ざし、本質的なところで自分のど真ん中のところで自分を持ち出さない自分。
自分が素晴らしい人生を生きるということに責任を見出ださない自分。遣り甲斐を自ら捨てる自分。
シンクロすることはある。そうなったら素晴らしいとする自分もいる。もちろんそうなることは構わない。でもそれはただそうであるに過ぎない。それを目的として生きていては何も生み出さない。
そんな感じ。
早稲ラグデータ分析委員
早稲田大ラグビー部に強い味方! Visioテンプレート「Visco For Rugby」を導入
いやー、すげー。
感動した。
何が感動って、ここで色々ペラペラ喋ってるってことは
それ以外にもたくさん色々やってるってことっしょ。
奥深い。
凄い。
全くまとまってないな。
しかも文章の体を成していない。
でもこのまま送る。
いやー、すげー。
感動した。
何が感動って、ここで色々ペラペラ喋ってるってことは
それ以外にもたくさん色々やってるってことっしょ。
奥深い。
凄い。
全くまとまってないな。
しかも文章の体を成していない。
でもこのまま送る。
勝負を見る
正に変な話ですが、俺は目の前で勝負が行われていたら負けている方に肩入れします。負けている方が不憫になってしまうのです。
目の前で誰かが負けて悲しむ(と僕は思い込んでいる)ということが嫌なのです。判官びいきとも少し違う。俺の目の前では誰も悲しんでほしくない。悲しさが俺に伝播するからそれは迷惑だ、っていう思い込みがあります。
ちょっと考えてみれば変な話なんですけどね。だって自分が勝負の当事者のときは、その時点でどんなに負けが込んでいても負けることなんて考えないし、いつでもその場その場でやるべきことをやろうとしてるのに。
そんな時に悲しみなんか生じるわけはないし、そんなのは周りが勝手に自分の心に作り上げるだけなのに。
でも感じるのです。
不思議です。
そのままでいこうと思います。
目の前で誰かが負けて悲しむ(と僕は思い込んでいる)ということが嫌なのです。判官びいきとも少し違う。俺の目の前では誰も悲しんでほしくない。悲しさが俺に伝播するからそれは迷惑だ、っていう思い込みがあります。
ちょっと考えてみれば変な話なんですけどね。だって自分が勝負の当事者のときは、その時点でどんなに負けが込んでいても負けることなんて考えないし、いつでもその場その場でやるべきことをやろうとしてるのに。
そんな時に悲しみなんか生じるわけはないし、そんなのは周りが勝手に自分の心に作り上げるだけなのに。
でも感じるのです。
不思議です。
そのままでいこうと思います。
コーチングについて
自分が今向き合っている、コーチングというものについて考えよう考えようとしながら時間ばかりが過ぎていく最近でした。
そんなとき、ふと浮かんできたことがあります。
コーチングが世界を埋め尽くして、それ以外は何もなくなって、コーチングなんかなくなればいいなあ、ってことがふっと浮かんできたのです。
別にコーチングが何物よりも優れているから他を全部飲み込んでしまえばいいじゃないかとか、そんなことを言うつもりは全然ありません。
ただ、心地良いコミュニケーションっていうものが世界全体に広がって、それが世界中に充満して、それが当たり前になって、みんなに浸透して、そんなことは意識されなくても当然になったら素晴らしいなあ、と思ったのです。
これもとあるところから触発を受けて感じたことです。
背景や歴史や奥底にある何かが甚大ならば、そこから発信されるメッセージは本当にパワフルだなあと感じます。
俺もそういう言葉を発していける人間になりたい。ただ目の前にいる人を力付け、その人が俺との関わりの中で、俺とあまり関係ないところで、素晴らしく心地よく生きていけたらいいなあなんて、傲慢にも思うのです。
ただ存在することが素晴らしい、そのことを体現できる人間になりたいと、更に傲慢にも思います。
そこで発揮される俺のアイデンティティとは。強みとは。更に探究していきます。
そんなとき、ふと浮かんできたことがあります。
コーチングが世界を埋め尽くして、それ以外は何もなくなって、コーチングなんかなくなればいいなあ、ってことがふっと浮かんできたのです。
別にコーチングが何物よりも優れているから他を全部飲み込んでしまえばいいじゃないかとか、そんなことを言うつもりは全然ありません。
ただ、心地良いコミュニケーションっていうものが世界全体に広がって、それが世界中に充満して、それが当たり前になって、みんなに浸透して、そんなことは意識されなくても当然になったら素晴らしいなあ、と思ったのです。
これもとあるところから触発を受けて感じたことです。
背景や歴史や奥底にある何かが甚大ならば、そこから発信されるメッセージは本当にパワフルだなあと感じます。
俺もそういう言葉を発していける人間になりたい。ただ目の前にいる人を力付け、その人が俺との関わりの中で、俺とあまり関係ないところで、素晴らしく心地よく生きていけたらいいなあなんて、傲慢にも思うのです。
ただ存在することが素晴らしい、そのことを体現できる人間になりたいと、更に傲慢にも思います。
そこで発揮される俺のアイデンティティとは。強みとは。更に探究していきます。
2006年04月04日
2006年04月03日
STOP AIDS
エイズは非常に分かりやすい指標というか概念で(誤解を招く表現かな)コンドームを普及させたいときには、漠然と「性病予防」とか言うよりは「エイズ予防」とか言ったほうが分かりやすいからな。
そういや実はあんまりエイズとか知らなかったもんでちょっくらウィキペディアを覗いてみた。こちら。
無知は罪なときもある。
そういや実はあんまりエイズとか知らなかったもんでちょっくらウィキペディアを覗いてみた。こちら。
無知は罪なときもある。